百歳まで生きるということ
義伯母が百歳を迎えます。
施設の面会予約が取れたので、昨日面会に行ってきました。
お祝いに何かと思うのですが、ケーキは体調管理の点から控えて欲しい(軽い糖尿病なのです)とのことで生花にしました🌸
お花をとても喜んでくれました。部屋の中はどうしても無機質になりがちなので、壁にマスキングテープで季節の飾りも貼りました🌸
そして、LINEで私の長女とその娘と話をして嬉しそう。独り身だったので、ずっとうちの三姉妹を可愛がってくれていたのですが、今ではその子どもたちに目を細めている義伯母です。
とても百歳には見えない。
じゃあ何歳に見えるのかと言われると、答えに困るのですが、とにかく背筋がしゃんと伸びて歩行器を使ってフロアーを歩き回れる。身の回りのことは自分でできるし、受け答えもしっかりしているのは見事です。(物忘れがあるのは普通でしょうね)
普段は部屋で静かに過ごすことが多いようです。
施設内には話が合う人が1人しかいないと言います。密に交流していた友人たちも先に逝かれたり、弱ってしまわれたり、手紙のやり取りをする方が一人いるだけだと言います。
何かしたいことはある?
欲しいものは?
と聞いても、特に浮かんでこないようです。
それは少し寂しいことのように感じますが、静かに時間が過ぎていくのが百歳の日常なのかもしれません。
雑誌などで取り上げられる元気で活動的な百歳の方は、滅多にないことだからこそ注目を集めるのでしょうね。
百歳に生きがいとかやりがいとか求めるのはもう違う気がします。
命を全うすることを見守りたいと思います。
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