60代、日日是好日

読書、手仕事、庭いじり・・・やりたいことがたくさん

落ち着いたんだな,私

寒中見舞い葉書を出しました。


11月ごろから義母の衰えが進み、12月に入るとさらに危ない容態。年末年始の準備は手付かずで、当然年賀状も準備しませんでした。


3年前の同じ日(そう、義母と実父の命日は同じなのです)に亡くなった実父の時は、亡くなるなんて思っていなかったので、早めに準備した年賀状は出した後でした。


どちらの場合も欠礼のお知らせはしていなかった(というより年末ギリギリ過ぎてできなかった)ので年賀状をいただきました。



寒中見舞いを書きながら、2週間余りが経ち自分の心が落ち着いたんだなと感じました。



年末年始で休んでいた官公庁や金融機関が再開したので、いろいろな手続きを始めました。これが結構大変。返還すべき書類が見当たらないとか、揃えなければならない書類の数々、本人確認・・・

人をひとり見送るのは簡単なことではありませんね。



仏壇の花もくたびれてきたので替えなくちゃ。

義母を見送りました

義母が先日亡くなりました。慢性心不全という疾患はありましたが、それも含めて老衰ということでした。


亡き夫の母でなければ、決して親しく付き合うことのない関係だったはず。それでも30年余り同居したのですから不思議な縁です。


昭和一桁生まれ、戦争中は学徒動員で海軍工廠で働いたことは聞いていましたが、詳しいことは語りたがりませんでした。

一度だけ「今までで一番苦しかったことは?」と聞くと、「戦争。空襲があると防空壕に入った。勉強なんて少しもしないで働かされた」と答えたことがありました。戦争に青春時代を滅茶苦茶にされたという思いがあったのでしょう。


こうして戦争を知る人がいなくなるのですね。


親しい人も親戚縁者もほとんどが先に逝ってしまっていますので、葬儀は自宅で身内だけで行いました。

菩提寺の住職も葬儀会社の方にも、最近は自宅での葬儀は滅多にしなくなったけれど、いいものですねと言っていただきました。


初七日法要でひ孫が住職に「大きいおばあちゃんはどこにいるの?」と聞くと、「名前を呼べば、いつでもそばに来てくれるよ」と答えてくださいました。

その後仏壇に向かい、名前を呼んで「南無阿弥陀仏」と唱える孫。4歳ながら,何かを感じたようでした。


通夜と葬儀が終わり、私の娘たちも帰っていきました。


年末の片付けも年始の準備も今年はなし。

昨日は一日中テレビの前で過ごしました。「光る君へ」の総集編をNHKプラスで一気見、久々にまったりしました。


気遣ってくれる友人の言葉が心にしみる大晦日です。

今も何でも楽しいよ

4歳1ヶ月の孫(男児)が母親と帰省しています。


1年前と比べたら格段の成長。何しろトイレに自分で行ける😅


そろそろ字を覚えてもいいんじゃないかなと娘に言うと、そんな気配は全然ないようなので様子見のようです。


それなら数字は!と、数字の書いてある積み木で遊んでみます。でもやっぱり字には興味ないみたい。


懲りずにババ(私)は、

「数字や算数ができるようになると楽しいよ」

などと言ってしまいました。


すると,孫

「今も何でも楽しいよー」


この言葉に軽いショックを受けました。


ごめんね、何も急ぐことはないのに。

今を思いっきり楽しんでいるあなたはそれで十分。

マイペースで成長してね。


それに、今の私、こんなふうに「今が楽しい」と言えるだろうか😔


4歳児の言葉に考えさせられました。