昔語りに耳を傾けました
義伯母の施設転居のために往復2時間の運転でした。
復路は、義伯母を乗せて新しい施設に向かいました。
その道中、義伯母の昔語りに耳を傾けました。
生後まもなく母を亡くし、祖父母の元で暮らすも、父の転勤や再婚で生活が変わったこと。実母との縁が薄かったことは、生涯の悲しみなんだと感じました。
女学校を出た後代用教員として教壇に立ち、その後師範学校に入り正式に教員となったこと。戦前は、10代で教壇に立つことがあったのですね。
戦争中、父親が出征し妹は挺身隊(学徒動員)として呉に。義伯母は家を守り、防空壕を掘ったり荷物の疎開のために荷車を引いたりしたそうです。
現在戦時下にあるウクライナ🇺🇦のように直接爆撃を受けることはなかったのよというものの、家族が引き離される辛さはいかばかりだったか・・・
一番印象的だったのは、初めて担当した生徒さん(当時小学2年)とその後80年余り交流が続いていること。あちらは今年89歳、今でも親身に相談に乗ってもらっているようです。
車での1時間で、今年99歳になる義伯母の前半生を駆け足で聞くことができました。
コロナ禍で、入居後は面会ができません。施設内に気が合う人がいらっしゃると良いのですが・・・
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